傘を置いて会いに行く

ジャニーズWESTのことを中心に日常のいろいろ。

「春じゃなくても」の神山くんパートが好きな話

 

「春じゃなくても」はSUPER BEAVERの柳沢亮太さんが作ってくださった曲で、
アルバム『rainboW』の1曲目として収録されている。
「青春っぽさもあるし、切なくも、優しくも力強くもある。総じてエモい」(神山くん談)この曲の全部が大好きなのですが、なかでも


好きなら好きと 言えますように

 

神山くんがちょっとがなるように歌うこのパートが、私はほんとうに好き。
ぐっと胸が詰まってなんだか泣きたくなるんです。


思えば小さい頃は、何でも簡単に「好き」と言えたなあ。
幼稚園で一緒になった男の子。お世話をしてくれた学童のお兄ちゃん。
可愛いサンリオのキャラクター。リボンのワンピース。
男の子とけんかしながら遊んで山を駆け回って、怪我ばっかりの自然児だったけど、
女の子っぽいものも大好きだったし、全部が当たり前のように自分の中にあったと思う。


でも、年齢を重ねていくうち、簡単に「好き」とは言えなくなった。
「好き」と言ったら、相手はどう思うだろう? 
「好き」なものを、馬鹿にされないだろうか?
自分みたいな人間が、「好き」なんて言ってもいいんだろうか?
そんなふうに迷って、全部を見せられなくなっていく。
空気を読むようになっていく。
それが自分の魂や本質に近いものであればあるほど、
「好き」とはなかなか口に出せない。
タピオカ好き!は簡単に言えても、恋の告白は簡単にはできないように。


好きなものや、それを好きな自分を否定されるのは苦しいことで。
否定されようがなんだろうがそれでも好きと言うためには、
勇気とか自信とか、そんなものが必要だ。

 

 「好きなら好きと 言えますように」というフレーズは
自分が確固たる場所に立っていられるように、
周りに何を言われても揺らがないように、
勇気や自信を持って前へ進める人間であるようにという、自分への願いで、
神山くんの歌声はその願いを切実に体現している、と勝手に思っている。
だからいつもぐっときて泣けてしまうんだ。

 
そしてもっというなら、
誰が、何を好きでも、
それを受け止めてくれる世界がありますように。

 

神山くんの昂ぶりを
ズレてるなんて 誰が決めるんだろう」 
と優しく受け止める重岡くんのパートは、
そんなふうに闘ってる人を応援しているように聞こえたりもする。

 

 (なお、後半では、このパートを淳太くん→桐山くんで歌っていて、これはこれで大好きです。年長のばどは、柔らかく、明るく、伸びやかに寄り添ってくれる。)

 

 「朝じゃなくても」「春じゃなくても」と7人が力強く重ねていくこの歌を、
いつでも、どこにいても、どんな状況でも、どんな自分でも。
全肯定の応援歌だと思って、私は聞いているのでした。